テレビのつくる共通認識について

3行記事要約

テレビは日本人全員に同時に情報発信し、視聴者は1億3000万人がほぼ同時に情報を受信できます。 テレビを見ている限り、”共通の認識”が発生して、人と同じ情報を共有できます。 長年を経て”有限に淘汰された情報”がつくられます。

自分は70億人のうちの1人に過ぎません。全人口の99.99…%は他人です。

しかし社会では他人のことも知らなくては生活していくことができません。

現代人は”自分以外”の情報をテレビ、新聞等に依存します。

“自分以外の人が全人口の99.99…%、ほぼ無限であります。無限の外の世界に対して向いていかなくてはいけないです。

 

テレビから得られる共通認識

テレビ視聴者は無限の外の世界を意識してなくても、毎日テレビからの情報を見ることによって他者と”共通の認識”になれます。

今やテレビの普及率はすごく、個々人の会話でのコミュニケーションのスピードを超越します。

テレビを日本人全員が視聴していると仮定するならば、テレビは1億3000万人に同時に情報を発信し、視聴者は1億3000万人がほぼ同時に情報を受信できます。

 

視聴者に記憶されていく

テレビ番組を見る視聴者の一日一日は進み、テレビから受け取った情報も記憶され残っていきます。

何回も毎日繰り返し同じものを見れば記憶に残り、記憶が進みます。
視聴者は”新しい情報”としてテレビの番組を見ますが、テレビはコマーシャル等、同じものを毎日宣伝することで視聴者に記憶させます。

 

「有限の情報」に自然淘汰される

すると、自分の外の「無限の情報」を知るためにテレビを見るのですが、テレビから毎日同じ情報を見せられる状態が出来ます。

自分の外の「無限の情報」を知るために見たテレビですが、毎日同じものが目に入ると、視聴者の頭の中は、記憶に残った情報、テレビに出現する可能性がある情報だけの、「有限な情報」に自然淘汰されていきます。

視聴者が毎日同じ情報を見ることで記憶にすりこまれ、無限の外の世界が、有限な情報によって排除・淘汰され、人の認識は”テレビから入る世界”だけとなり、それが他人と”共通の認識”になります。

テレビを見ている限り、”共通の認識”が発生して、人と同じ情報を共有できます。しかし、その世界の中に自分のアイデンティティーはありません。

 

視聴者はどこまでも客体である

視聴者はテレビからは行動の”主体”のように映されていますが、どこまでも”客体”です。

視聴者は無数に存在するので、個々人として扱われる可能性は0です。

無限の世界を”規制”されて他人と同じ情報を共有できる代わりに、”有限に規制した情報”の世界をつくる産業のメカニズムがすることは、コマーシャルで宣伝して、視聴者を取り巻いている世界に行動の選択肢を与えることであります。

視聴者はテレビの世界では行動の”客体”でありますが、産業のメカニズムでは行動の”主体”だからです。

産業という大自然に自分というアイデンティティーは存在しません。もちろんテレビにも自分というアイデンティティーは存在しないです。

 

芸能人というアイデンティティー

しかしテレビには芸能人という、テレビの中にも関わらずアイデンティティーを持った人間が存在します。
芸能人はもちろん視聴者に受け入れられて成立する存在ですが。

さも視聴者の象徴になりすましたかのような存在です。視聴者視点で行動します。
芸能人はあこがれです。視聴者には、人間のアイデンティティーを芸能人に求める人も多いでしょう。

芸能界という、芸能人の集合体、すなわちテレビ世界の個人の集合体があります。

その集合体の生活が毎日メディアで取り上げられ、テレビやインターネットの電波から全国発信されると、その集合体の生活が人間の代表のようにみえてくるようになります。

芸能界という文化が存在して、視聴者のあこがれとなり、人間の指標、生活の指標となるものがテレビから現れました。

 

まとめ

“共通認識”を通すと、自分と他者が同じステージに乗り、自他の比較ができます。

しかし、テレビからの“共通認識”に自分のアイデンティティーはありません。

“家庭の基盤”がしっかりとある人は”家庭の基盤”から自分のアイデンティティーが形成されるのでしょうが、“家庭の基盤”がしっかりとない人はテレビの情報に流されてしまうのが現状です。

“家庭の基盤”がしっかりとない人にとって、テレビの情報は“家庭の基盤”を新しく与えてはくれませんでした。

テレビのつくる共通認識について その2

2022年4月30日