日米ヒーローものの比較から学ぶ日本に必要な個人的視点について

私が生まれて初めて借りたレンタルビデオは「東映スパイダーマン」でした。
当時TSUTAYAもなく、VHSレンタルビデオが新作で500〜600円だった時代です。
ドラえもんなどのアニメ作品がある中で、異彩を放っていて心を惹かれたのを覚えています。

当時感じたものの正体は日本にはない感性でした。しかしそれが言葉で表現できませんでした。
しかし、その頃から私は日本と海外のヒーローの違いというテーマを求める運命にありました。

この記事では日本の代表的ヒーローである「戦隊ヒーロー」とアメリカの代表的ヒーローである「アベンジャーズ」を紐解きながら、当時私が「東映スパイダーマン」を見て気付いた、日本では見つけるのが難しい感性を考察していきます。

ヒーローものから見る日本とアメリカの違い

日本の戦隊ヒーローの歴史は長く、令和になった今でも新シリーズが誕生し続けています。戦隊ヒーローものの初代であるゴレンジャーの作者は石ノ森章太郎です。

基本は5人1組で色が個々人の個性になっており、主人公は情熱・熱血のレッドである場合が多いです。
戦隊シリーズの3作目から巨大合体ロボットが最後に敵を倒すことが定番になりました。
アメリカから逆輸入した「東映スパイダーマン」も日本の影響を受けて巨大ロボットに乗っています。

対してアメリカのアベンジャーズは、マーベル・コミックを原作としたヒーローアクション映画です。作者はスタン・リーです。キャプテン・アメリカを筆頭に、ハルク、アイアンマン、スパイダーマンなど個性的なキャラクターをベースにしています。

私は長年両方の作品を見てきましたが、次のような特徴がわかりました。

日本の戦隊ヒーローの特徴

  • 色などの種類による統一性がある
  • 5人揃って放つ必殺技が強力、もしくは5つのメカで合体できる巨大ロボットで敵を倒す
  • 1人でも欠けると力が発揮できない
  • 単独行動は極力行わない
  • 個人には限界があり、敵わない敵には合体攻撃等の新技を開発しようとする
  • 人の為、仲間の為に戦うことが前提にある
  • 組織の中の仕事である
  • 外敵がいなくても仲間。ただしその仲間は外敵に立ち向かう為の武力集団であって敵がいないと解散する
  • ストーリーの流れが、街で悪さをする敵怪物の討伐の流れで進む(今的)

 

アメリカのアベンジャーズの特徴

  • 単独行動を基本とする
  • 合体技はない
  • 単独で離れた各拠点を外敵から守る
  • 日々、自分の能力を高める特訓をする。普段の仕事は別にあるケースが多い
  • 人の為、仲間の為に戦うという意識は前提になく、「自分が武力である」という自覚が前提にある
  • 外敵が一致して仲間。外敵がいなくても武力としては解散しない。個人の能力だから
  • ストーリーの流れが、個人個人の行動・考え・思いなど精神性を土台に進む(過去・未来的)

このような特徴です。

特徴の対比から見えること

特徴の対比から、次のことが言えます。

日本の戦隊ヒーローの場合です。

日本の戦隊ヒーロー

全体➔個人への意識が強い。「全体」的である。個人には(色など)の統一感がある。この全体はグループに近く、統一感がある分、グループは差別的であり、全体と個人とは分離できない。

「全体」的である例
  • 色などの種類による統一性がある
  • 5人揃って放つ必殺技が強力、もしくは5つのメカで合体できる巨大ロボットで敵を倒す
  • 人の為、仲間の為に戦うことが前提にある
  • 組織の中の仕事である
  • 外敵がいなくても仲間。ただしその仲間は外敵に立ち向かう為の武力集団であって敵がいないと解散する

 

対して、アメリカのアベンジャーズの場合です。

アメリカのアベンジャーズ

個人➔全体への意識が強い。「個人」的である。個人がばらばらであっても全体が成り立つ。意識的に全体になるのはキャプテン・アメリカが「アベンジャーズ アッセンブル!」と言った時である。この全体はギルド(仕事の仲間)に近い。

「個人」的である例
  • 単独行動を基本とする
  • 単独で離れた各拠点を外敵から守る
  • 人の為、仲間の為に戦うという意識は前提になく、「自分が武力である」という自覚が前提にある
  • 外敵が一致して仲間。外敵がいなくても武力としては解散しない。個人の能力だから

 

東映スパイダーマンに感じた違和感、個人であること

「東映スパイダーマン」を初めて見たときに感じた違和感の正体が、日本とアメリカのヒーローの比較からわかりました。

それは「東映スパイダーマン」に見えた、日本にはない「個人」としての特性です。

例えば個人で戦うヒーローは仮面ライダーシリーズ宇宙刑事シリーズがあります。
仮面ライダーは敵組織に改造された改造人間であったり、宇宙刑事シリーズは警察なので存在が任務のためであったりと受動的なニュアンスがあります。
いわば魔王がいなければ勇者もいないようなものです。

その点でスパイダーマンは何か自発的です。
個人でありながら自発的であることに、当時の私は何か興味が湧いたのだと思います。

スパイダーマンは社会の日常の流れに個人が溶け込んでいます。敵がいるからスパイダーマンなのではなく、敵がいなくてもスパイダーマンなのです。そういう意味で日常に溶け込んでおり、敵がいなくてもヒーローであり続けます。

 

戦隊ヒーローの場合、個人のパーソナリティからの使命感・責任を持っていない

「アベンジャーズ」だったら常に自分の武力、責任に葛藤しているでしょう。
ストーリーの流れが、個人個人の行動・考え・思いなど精神性を土台に進みます。

アベンジャーズは「自分が武力である」という自覚が前提にあります。スパイダーマンの有名な名言「大いなる力には大いなる責任が伴う」のような本人の自覚があります。

しかし、戦隊ヒーローの場合は「個人の武力としての責任」は全体を守ることへの友情・愛・正義感などの感情にすり替わるように感じます。

言いたいことは、スパイダーマンのように「個人の武力としての責任」を自覚しなければ、自分の存在意義を外部から借りるようになります。それを長年続けていると、自分の存在意義を失い、自発性を失います。

そうなってしまう原因は、戦隊ヒーローが「全体的」であり、個人のアイデンティティーが「全体」から生まれた”役割”だからです。「役割」にはそれ以上、個人的なものを生み出す土壌が無く、アイデンティティーの限界があります。

組織の「作用」に対して、個人は「反作用」でしか無くなっていきます。組織の権限に対して個人のアイデンティティーは失われていきます。

そのことから戦隊ヒーローの個人としての対立や葛藤のようなものがアベンジャーズに比べると希薄に感じます。

 

個人を勝ち取りたい

戦隊ヒーローでありながら個人を勝ち取るにはどうすれば良いでしょうか。

一つ言えることは戦隊ヒーローの核となる”全体性”はトップダウンから来ており、ボトムアップから生まれていないということです。個人のアイデンティティの限界がそこにあります。

なので原則組織の中での行動しかありません。

アベンジャーズは元々はボトムアップで成り立っています。
アベンジャーズでは可能なのに、戦隊ヒーローでは不可能なこと、すなわち組織の枠組みを外れて個人のサイクルを生きるに至らないことは、日本人個人としての歯がゆさを感じます。

 

なぜ個人を勝ち取れないのか

私は個人を勝ち取れない理由は、言語レベルに起因すると思っています。

そもそも日本の戦隊ヒーローが全体的で、アメリカのアベンジャーズが個人的なのは、
日本語が右脳的で、英語が左脳的であるからだと推測しています。

これについては解析できた段階で解説の記事を作りたいと思います。

右脳左脳の考察

・「右脳は 並列プロセッサのように機能し 左脳は 単一プロセッサのように機能する。」
・「右脳にとっては“現在”がすべて 左脳にとっては 過去と未来がすべて。」

右脳と左脳についての明確な理解(ジル・ボルト・テイラーのパワフルな洞察の発作より)

2022年4月3日

日本は同じ現在を共有するといった右脳的なシナリオが視聴者に受ける土壌だからかもしれません。

まとめ

私は戦隊ヒーローに限らず日本の文化において、個人が前面に行かないことを憂いています。日常的な仕事でも全体性だけでなく、個人が前面に出られる環境を作るために研究を続けます。

まとめ
  • 日本の戦隊ヒーローは全体➔個人であり、全体の概念は「グループ」に近い
  • アメリカのアベンジャーズは個人➔全体であり、全体の概念は「ギルド」に近い
  • 日本の戦隊ヒーローは個➔全のつながりが希薄であり、それは戦隊ヒーローのみならず日本全体における問題である思う。